鍼(はり)の話しⅠ~なぜ効くのか?~
- pcs9130
- 2024年8月5日
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更新日:8月26日
前回は“氣”のお話しをしたが、今回はなぜ鍼は効くのか?ということをお話ししたい。氣は体全体を動かすエネルギーとして血を巡らせ、血は氣を体全身に漲(みなぎ)らす。全身を漲らせている氣血は経絡という経路を循環し、気血の循環に過不足が起こると一定の疾病状態を起こし病気になる。そうした気血の過不足を鍼や灸を用いて、特定の経穴を使い治療するのが鍼灸治療である。
氣は尖(とが)ったものに集まりやすいという性格がある。氣に似たものに電気がある。氣と電気は全く同じものではないが、似た性質を帯びていると考えられる。電気もまた尖った物に集まりやすく、ゴルフ場では樹木に雷として落ち、高い建物ならば避雷針に落ちる。鍼灸で使う針も先端は尖っており、その先端を患部に当て氣を集めたり、散らしたりして治療をする。
お正月に“門松”を飾る意味をご存じだろうか。“お正月様”や、“年神(としがみ)様”など地方によって言い方は異なるが、いわゆる“良い氣”を呼び込み、玄関から良い氣を迎い入れ1年間の無病息災を祈念するものだ。あの門松の中央の3本の竹は、先端を斜め上からスパッと切り、真ん中を一番高くして3本並べ尖らせて立てその脇に松の葉を置き飾る。竹の先端を尖らせ脇に尖った松の葉を飾る、つまり“氣”を集めるためなのだ。
鍼灸は今から2000年以上前、古代の中国で生まれたとされている。鍼や灸の治療については戦国時代の文献に登場し、経絡に関する記述も紀元前2世紀頃の文献にみられる。前漢の時代に東洋医学の原典ともいえる“黄帝内経素問”と“霊枢”が現代に伝えられているが、原本は散逸され残っていない。日本には、その写本が京都の仁和寺に残されており国宝に指定されている。これらの文献は一体誰のために作られ編纂されたのだろうか。少なくとも当時の民衆向けに編纂されたとは考えにくい。当時文字が読めた階級といえば、貴族階級や役人階級ら限られた階級だけである。鍼師は、当時は鍼医として皇帝や貴族階級の治療にあたっていたと思われる。
皇帝や貴族階級の治療にあたっては、暗殺を恐れて腹部や背部の刺鍼は避けられ、許されていたのは、肘から下の経穴、膝から下の経穴だけだった。もし、当時の鍼医が治療にあたり皇帝の病気が治らなかったら、あるいは効果が表れなかったら…、現在ならクビだろうが、当時は斬首だっただろう。だから当時の鍼医は血眼になって肘から下の経穴、膝から下の経穴で、効果の上がる経穴を探した。だから重要な経穴は皆肘から下、膝から下に集まっている。いわゆる、五要穴と呼ばれるものだ。つまり五要穴は当時の鍼医が命がけで探し当てた経穴なのだ。効果がないわけがない。鍼灸が現在まで治療技術として残っているのには先人の叡智と努力の結晶だからだと言って過言ではないだろう。すなわち鍼灸は人類の文化遺産なのである。
