お灸の話しⅢ~お灸はお仕置き?~
- pcs9130
- 2024年8月23日
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更新日:2024年8月23日
お灸がお仕置きや体罰、懲罰のように扱われなくなって久しいが、いまでもそのイメージを持つ人は多い。いつから、お灸はお仕置き、体罰、懲罰のように扱われ、いたずらっ子や悪ふざけをした子供たちに懲罰であるかのようなイメージが広がってしまったのだろうか。そして本当にお灸やお灸に伴う熱刺激はお仕置きだったり、懲罰としての効果があったのだろうか。
そもそも “灸を据える” という行為は治療行為である。そこへ懲罰行為としての意味が加わったと考えるべきだろう。最初から懲罰行為から始まったとは考えにくい。庶民へのお灸の認識と普及という観点から江戸時代を起点として考察しようと思う。
江戸時代の庶民の生活や風習、風俗を綴ったものに『東照宮御消息』がある。この書によれば、小児の癇癪や悪ふざけの原因は “疳の虫” だとされ、それを治療する目的でお灸が行われており、懲罰的行為というよりは治療的行為としての意味合いの方が強かったと思われる。一方、寺子屋や藩校に代表される教育現場では、治療的側面より、教育的指導あるいは、“しつけ”の意味合いで恒常的に “灸罰” が行われていた。ただ、もともと灸が治療手段であったことや感情的に身体を傷つける暴力的な体罰と違い、心身を沈静化する“艾”の薬効成分から医療的効果もあると認識されていた。
つまりこの時代のお灸は、『治療的行為としての灸』と『懲罰的行為としての灸』が併用されてはいたが、『治療行為としての灸』の意味合いの方が強かったと思われる。例えば、岡本一抱著『灸法口訣指南』では小児万病の灸として小児『斜差(すじかい)の灸』が記載されている。主治は疳の虫だが、小児万病の灸、あるいは“胎毒”の治療として身柱穴と共に風邪や小児神経症、ヒステリー等の疳の虫症の治療に広く用いられていた。(※注1)(※注2)
その後、明治維新を迎え、医制が制定され西洋医学が正規な医療として取り入れられ、自然科学的思考がもてはやされ、東洋医学的思考は廃れた。学校教育においても東洋医学思想に基づく疾病観から自然科学的疾病観へと転換が図られ、治療的行為としての灸も希薄化され、懲罰的行為としての灸の意味合いが強くなっていった。しかし明治中期から大正期にかけて、小児に対する過度な刺激の灸治療は、症状を改善させるどころか悪化させている可能性があるとの指摘も出てきていた。やがて学校教育における懲罰的行為としての灸は教育令により禁止され、灸罰は不適切な指導法として認識されるようになった。ただ戦後しばらくは、民間や各家庭で行うお灸には灸罰やしつけとしての意味合いがまだ残っていた。
近年お灸を含む“鍼灸療法”が見直され、退行性変性に伴う慢性疾患や生活習慣に起因する諸症状の緩和に有効だとする症例が多数発表されるようになり、自律神経を整え、リラックス効果をもたらすことで、不安感やストレスを軽減することが期待される。お灸も熱すぎない、痕が残らない心地良い熱さのお灸へと進化している。薬局等で手軽に購入し、自宅で気軽に据えることもできるようになった。専門の治療院や鍼灸院では火を使わないお灸や、煙の出ないお灸も考案され身近な存在へと変貌している。もはや昔のような懲罰的なお灸は、現在の治療院や鍼灸院では行われていない。
次回は新しい試みとして発達障害の症状緩和にお灸を用いる事例を紹介したい。
(※注1) 胎毒…胎児が生まれるとき自身の腸管にへばり付いてしまった垢のような毒素のこと。生まれたあと癲癇や皮膚病、胃腸障害などの原因になると考えられていた。
(※注2) 小児に流行する病としての “疳の虫” について東洋医学的には次のように捉えていた。疳の虫には、肝疳、心疳、脾疳、肺疳、腎疳の五疳に分類され五臓の失調によって引き起こされると考えられていた。子供は甘味を好むため脾疳が最も一般的な疳の虫であった。また胎毒は胎中の血熱によるものであり、肝が血を蔵し、相火を含んでいることから胎毒が盛んになると相火により脾肺が損傷すると考えられていた。よって斜差の灸は肝兪と脾兪に施灸するのである。
参考文献
罰としての灸の認識の形成ー明治維新以後の学校教育による影響ー
舟木宏直 社会鍼灸学研究 2019
