アイスマンと経絡治療
- pcs9130
- 2024年8月15日
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更新日:2025年8月26日
1991年、オーストリアとイタリアとの国境にあるエッツタールという渓谷で、アルプスの氷河から奇跡的な保存状態で発見された氷漬けされたミイラ・アイスマン、のちにエッツイと名付けられたこのアイスマンに施された刺青と彼の腰の状態から、古代中国で鍼灸が行われ始めるよりはるか昔のヨーロッパ(紀元前3300年)の青銅器時代にアルプス山脈の麓でケイケツ(経穴)を使った治療が行われていたという考察がある。(日本では縄文時代)
アイスマンの腰部、膝内側、足の外果周辺などには幾つかの刺青が施されている。古代の人々が刺青を入れることは、特に驚くべきことではないが、それらの刺青は服に隠れるような部位に存在しており、模様も飾り気のないシンプルな平行線や十字型をしているのである。オーストリアのレオポルト・ドルファー医師は、アイスマンの皮膚にある15の刺青と経穴の位置を比較検討した 。その結果、9つが6 mm以内、3つが6 mmから13 mmの間の距離に位置し、さらに2つが経穴ではないが経絡上、そして1つが丘墟と解谿の中間であった。他にも、左腰部の3つの入れ墨はそれぞれ胃兪、三焦兪、腎兪とほぼ一致し、左外果の後方のものは崑崙、右膝内側は曲泉、右下腿外側は陽輔、といった具合である。
つまり15のうち14がほぼ現代の経穴の位置と合致し、残る一つが現代経穴と経穴の間という事である。さらに、様々な画像診断の手法を用いて行われたアイスマンの健康状態の検証によって、彼の頚部・腰部・仙腸関節・股関節などに変形性関節症が存在したことがわかっており、刺青の位置は、それらの症状の局所または関連痛を感じる部位(例えば腰椎すべり症が原因で発生する疼痛部位)に一致しているのではないかと推察する研究者もいる。
作家で鍼灸師でもある乾緑郎氏は自身の著書の中で、「アイスマンの刺青って足にあるものは、もしかすると全部五輸穴なんじゃないかって・・・」(中略)「アイスマンの足にあるツボは、この分類だと中封と復溜は経金穴、陽輔と崑崙が経火穴、陽陵泉が合土穴、曲泉が合水穴に当たる。」経絡上の三六五個のツボのうち、五輸穴のいずれに属しているツボは六十個しかないにも拘わらず、そのほとんどが当てはまっていることに奇異を感じる。また著者は「アイスマンのツボの位置にある刺青は、三本から七本の平行線模様と、×印思わせる十字型の二種類ある」。(中略)「平行線の方は本治法に使われ、十字形は標治法に使われたんじゃないかって…」。
つまり、およそ2000年前に秦漢の医師らが血眼になって探し出した五輸穴(五行穴)が5300年前(紀元前3300)すでにユーラシアの西側で使われていた可能性があり、また現代鍼灸でも行われている本治法と標治法からなる経絡治療も、また行われていた可能性までも示唆している、と言ったら言い過ぎだろうか。
黄帝内経霊枢「経筋篇」に「以痛為輸」(痛をもって輸(兪)となす)という記載がある。単純に「痛いところを治療点としなさい」という意味である。アイスマンの刺青が治療目的であったとすれば、単純に痛いところに刺激をするために皮膚に傷をつけて煤(すす)を擦り込んだ、と考えられるだろう。つまり“手当て”というように疼痛部位を無意識に手で抑えるという行為が、人間の本能に近い疼痛緩和手段であったということを考えれば納得できる。しかし常にその部位を抑えているわけにはいかないし、かと言って常にその部位を第三者に伝えるのは至難の業である。刺青としてマーキングしておけば自分以外の第三者に教えることは容易だ。
アイスマンの体表にある刺青は実際のところその目的や意味は不明であり、すべては憶測の域をでない。しかしアイスマンの刺青と経穴との奇妙な一致は、鍼灸師に大きなロマンと期待を抱かせる。しかし五輸穴との一致は、経絡治療家にとっては驚きと同時に当然の帰結との認識も抱かせるだろう。効果のある経穴なのだから時代を経て伝わり残っているのだと。
アイスマンを更に調べて遺伝学的研究も進められている。彼の遺伝情報から起源やその後の人々との関連性も探る試みが行われている。これらの研究はアイスマンを通じて新石器時代の人々の生活、健康、文化について理解を深める大きな手掛かりともなってっている。彼のDNAを調べれば同じDNAを持つ子孫にも辿れるという。今後更なる研究によって新しい発見が待ち遠しい。
参考文献
乾 緑郎 『鷹野鍼灸院の事件簿』宝島文庫社、2016
NHKスペシャル『完全解凍!アイスマン~5000年前の男は語る~』
