脚気(かっけ)論争と鍼灸の歴史 〜江戸煩いから現代へ〜
- pcs9130
- 8月26日
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みなさんは「脚気(かっけ)」という病気をご存じでしょうか?江戸時代には「江戸煩い(えどわずらい)」とも呼ばれ、町に住む人々を悩ませた流行病です。足のしびれや倦怠感、むくみ、心臓の不調などを引き起こし、重症になると命を落とすこともありました。現代では ビタミンB1の不足 が原因と分かっていますが、当時は正体不明の病でした。
明治に入り、日本の医学は西洋化の道を歩みます。その中で「脚気の原因は何か」をめぐって大論争が起こりました。
森鴎外(陸軍軍医総監) … 脚気は「細菌による伝染病」だと主張。
高木兼寛(海軍軍医総監) … 脚気は「食事が原因」で、白米中心の食生活を改め、麦飯を食べれば治ると主張。
結果はどうだったかというと――海軍は麦飯を取り入れ脚気患者が激減、陸軍は白米を続けたため多くの死者を出しました。のちに「高木説=栄養欠乏説」が正しいと証明されることになります。これが有名な 脚気論争 です。
では、鍼灸や漢方の世界ではどうだったのでしょうか?
江戸時代まで脚気は「気血の不足」「湿邪(体の中に溜まる湿気)」などと解釈され、鍼灸や漢方薬で治療されてきました。特に鍼灸では、足三里・三陰交・関元といったツボを用いてしびれや倦怠を改善することが多かったと記録されています。
しかし、明治に入り西洋医学が主流になると、鍼灸界でも議論が生まれます。「脚気は気血の病であり鍼灸で治療できる」という立場と、「根本は栄養の病であり鍼灸は補助的にすぎない」という立場です。これが、いわば 鍼灸における脚気論争 でした。
当時の症例を振り返ると、軽い脚気症状――しびれやだるさ、むくみなど――は鍼灸治療で改善が見られたとされています。しかし、重症化して心臓にまで負担がかかった患者には鍼灸だけでは限界があり、食事改善が不可欠でした。
そのため鍼灸界でも次第に、「鍼灸は脚気そのものを治すのではなく、症状を和らげ回復を助ける役割 を担う」という考え方が広がっていきました。
現在では脚気は栄養学的にほとんど解決された病気です。しかし「脚気様症状」と呼ばれる、しびれや倦怠感、足のだるさやむくみといった不調は現代人にも多く見られます。
そうしたときに鍼灸治療は、血流を整え、体を軽くする効果が期待され、今なお活用されています。
脚気論争は、西洋医学の歴史において「細菌か栄養か」をめぐる大きな争いでした。同時に、鍼灸や漢方の世界でも「気血論か栄養論か」という議論がありました。
最終的には栄養欠乏が根本原因と判明しましたが、鍼灸は脚気様症状の改善という形で役割を果たし続けています。この歴史を振り返ると、「病気の理解が深まることで医学は進歩し、東洋医学もまた時代に合わせて役割を変えながら生き残ってきた」ことがよく分かります。
ただよくよく考えたら、食は大事だということです。『素問・四気調神大論』や『素問・蔵氣法時論』に次のような言葉があります。
『五穀は養い、五果は助け、五畜は益し、五菜は充つ』、『飲食が適切であれば病気は起こらず、もし飲食が不摂生なら、百薬もこれを治すことはできない』
つまり、食による養生が健康の根本であり、“食で治せない病気は薬や医術でも治せない”という考え方です。実はこの考え方は今でも通用する考え方です。例えば糖尿防、高血圧、高脂血症などの生活習慣病は治らない病気として認識されています。しかし、本当に治らない病気なのでしょうか。
※ちなみに鍼灸における脚気論争で、使用された経穴(ツボ)は、“脚気八処の穴“(かっけはっしょのけつ)と言い、脚気特有の病状を緩和するツボとして今でも有名です。
取穴部位)風市、伏兎、外膝眼、犢鼻、足三里、上巨虚、下巨虚、懸鐘(絶骨)
主 治) 脚気